カテゴリー「movie」の101件の記事

2012年5月10日 (木)

キングアーサー ★★★★☆

King Arthur / Antoine Fuqua / 米・2004年 / 126分 / 製作費 $1億2000万 / 興行収入 $2億

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冒頭の別れ。

ランスロットの旅立ちに対し家族は総出で立ち会う。その別れ際少女がランスロットにお守りを渡すシーンの緩さ。長期に渡る兵役で再び生きて会う事が出来ないかもしれない状況において、いやそうであるからこそこの映画のように彼の旅立ちを皆で見送ってはならない。そんな事をすれば失笑に帰す。テントの前に並び、別れを悲しみ、少女はお守りを渡す。

これではお守りを渡しました、というだけでしかない。ちょっと旅行に行ってくるよ的な別れでしかない。親戚の叔父ちゃんサヨウナラでしかない。

お守りを渡す行為そのものには何の意味もない、そこに込められている気持ちをお守りが代弁するのである。そしてそれをどう撮るのか。

家族はテントの中で彼と別れを済まし外へは決して出ない。出てはならない。彼との今生の別れを見たくない。そんな中、ランスロットは外に出て馬に乗り歩み出す。そこで堪え切れなくなった少女が両親の制止を振り切ってひとりテントの外へと駆け出し、ランスロットにお守りを渡す。

この少女の走りがエモーショナルをかきたてる。

例えば "もののけ姫" の冒頭。呪いを受けたアシタカは誰にも見送られずに旅立つ。そこにカヤという少女が駆け寄って来てアシタカにお守りを渡すシーン。ここで大事なのは見送ることが許されていないという事。そうであるからこそ、それを破ってアシタカに別れを告げに来た彼女の気持ちがこの行為によって際立つ。

何かを破ってまで会いにゆく。むしろその為にこそ掟や戒律を捏造する。何かを破らせる為に。そう状況を設定する。だからそうではないこの映画冒頭の別離はボンヤリとしている。「勝利を!!」と叫ぶそれが滑稽に映る。

そして必要のないナレーション。この映画において解説、ましてや予備知識なんて必要ない。

騎士がいる。敵がいる。さらには蛮族がいる。この3つさえ理解出来れば何も問題なく、映画は確かにそれを描いている。

例えば馬車襲撃のシーン。馬車がいる。その馬車に襲いかかってくる敵がいる。そこへ止めに入る騎士達がいる。誰が見ても明確だ。

こういった事と同様に、この映画が描いているのは人権や奴隷、ましてや自由なんて下らないものでは決してない。騎士たちは当初自由になる為に戦っていた。そして念願の自由を得た後、その後、故郷に帰ろうとした騎士達は何の為にアーサーの元へ戻ったのか。

自由の為か?それはもう手にした。ならばあのまま帰路に着けばよい。

では平等の為か?いや、違う。そうならば最初からアーサーと共に残っていたはずだ。

彼等はなぜ踵を返したのか。そんなもの決まっているアーサーの為だ。彼の為だ。自由や平等の為ではない。ましてやアーサーが掲げている信念の為でもない。

アーサーの為に騎士達は戻った。そして戦った。

帰路にある騎士たちは無言で互いの顔を見合う。そこに言葉はない。そして何かを確信したように彼の元へ向かう。そして帰ってきた騎士たちに対し何も言わないアーサー。当然何も言わない。これを映画は描いている。アーサーの信念の為には命を懸けない。だがアーサーの為なら何のその。

だからこの映画においてラストの結婚式は誰の目にも蛇足に映る。さらにはそもそものキーラ・ナイトレイ自体の疎外感が常に付きまとう。なぜならこれはアーサー王物語ではなく、アーサーとその騎士達の物語なのだから。そこに焦点を当てた物語なのだから彼女は邪魔者なのだ。

映画は言葉ではなく映像を信じなくてはならない。言葉にならないそれを映す為に映画はある。明確に描かれている物を見る事。

ならば次は、画にはならない事を信じなければならない。

ラストの戦闘。カメラはサクソンに寄る。まずはサクソン軍の第一陣が開かれた扉の中へと侵入する。すると扉は閉まる。が、しかしその閉門された扉の向こうの様子をカメラは明確に捉える。何が行われているのか、見えないはずの扉の向こうを私たち観客は見てしまう。程なくして開門。その扉の隙間から血塗れのサクソン兵が一人で出てくる。それを目撃したサクソン軍は当然畏怖を覚える。兵士が殺された事に対してではなく、どのように殺されたのかが分からない状況に対して恐怖を感じる。

このように扉が閉まる、そこから出てくる兵士、それを見るサクソン、と演出しているのに、観客はサクソンが見ていない状況を完全に見てしまっている。

ならばこのような演出はいらない。

折角扉を閉めたのだからそれを有効に使い、カメラの場所を定めるべきだ。カメラが散漫過ぎる。つまり視点がぼやけている。

わざわざ扉を閉め、サクソン側にカメラが在るのならば当然第一陣が入った後もカメラはサクソン側に在り続けるべきだ。そして音、もしくは音から "見える" 映像のカットだけを挿入し沈黙の後、扉が開かれ血塗れの兵士が排出される。

そして残されたサクソンと共にカメラも扉へ向かい突入。そしてそこで何が起きたのかをサクソンと共に感じようではないか。視界が奪われ、機動の差を突かれ、追いすがろうした所を遠方からの一斉掃射。その見事さをサクソンと共に体験しようではないか。

映画は言葉ではなく映像を信じなければならない。さらにその映像には映すことの出来ない何かを信じなくてはならない。

この映画にはこういったブレが所々ある。例えばそれは城壁の "内" と "外" その切り取り方の拙さだったり、馬車襲撃時における騎士たちの登場シーンのマズさだったりと。ただラストの戦闘のように画で魅せ楽しませてくれる。

素晴らしい。

そしてさらには騎士たちの会話の匠や故郷を思っての歌。彼らがその歌を聞いて思い出したのは故郷であって素晴らし歌に感動した訳ではない。しかもそういった歌が割りと良い歌だったりする事。後は立ち位置。城壁、馬、地下。こういった立っている場所そのものが示す立場、さらにそこから降りるか、登るか、といったアクションの有無が表す信条。

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2012年5月 5日 (土)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society ★★☆☆☆

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society / 神山健治 / 日・2006年 / 105分 / 製作費 ¥3億6000万 / 興行収入 不明

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少佐離脱が何の意味もなかった様に、トグサが何かを越える事はない。

そもそもトグサは越えたくなかったのかもしれない。

それは結局、やはり名も成り立ちも、傀儡廻しが人形遣いの裏返しだったこの作品のように。

だから面白くない。

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テイキングライブス ★★★☆☆

Taking Lives / D.J.Caruso / 米・2004年 / 103分 / 製作費 $4500万 / 興行収入 $6500万

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目撃者としてジェームズ・コスタを取り調べるシーン。震える手を見る、資料を覗きこまない等は良かったのに、凶器を見せられた際の演技。

「そ、それ、アレだよな。おい、ワザとか!?」

絵に描いたような "狼狽" をするイーサン・ホーク。滑稽でしょうがない。その間抜けな演技を画面はそのままに映し取る。私ことジェームズ・コスタが犯人である事を知っているという演技。画面外のイーサン・ホークという俳優が映画に侵入する。脚本を読み「よ〜し、こんな演技をしてみますか」という下らなさが見え隠れする。こんな登場人物が少ない映画で犯人が誰だ、なんて邪推は意味を持たないが、こんな演技らしい演技を見せられて観客はどうすればいいのか。

その一方でアンジェリーナ・ジョリーの立ち方。なぜ彼女が彼女なのか。

強く理知的で魅力ある女性だからか?

いや違う。それは前フリに過ぎない。終盤、打ちひしがれ、突き飛ばされ、黙らせられるアンジェリーナ・ジョリー。この甚振られ方の様になる事。造り手がここに懸けている事は二人の情事の後、エレベーター内での狂気を目の当たりにしたアンジーの撮り方。めまいショット。ここからが本番だという力の入れ方。

ただ、逃げるキーファーを追うシーンの低調さだったり凡庸なカーチェイス。

しかし冒頭の入り、さらに深夜のバーでコスタが画商になった理由をアンジーに伝えるシーン。そのカウンターの撮り方は美しい。そう言えばちょうど "荒野の用心棒" を見たところだった。

あと、都合3度ほどはあったビックリさせられた、あのようなシーンはやめろ。子供か。

「わっ!!驚いた?」

そりゃ驚くわ。「おうっ」て声が出ちゃたよ。

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荒野の決闘 ★★★☆☆

My Darling Clementine / John Ford / 米・1946年 / 107分 / 製作費 不明 / 興行収入 不明

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蹄が地面に食い込み、大地を蹴り上げ、舞い散る砂塵を吐き出し、馬が疾走する。

この美しさをラストの決闘にも持ち込む。

または酒場の映し方。カウンターがどういった存在なのか、それをどう切り取れば良いのか。

さらにアープがインディアンを引きずり出す時の光の扉、その照明。手術の後、横になった時のチワワの美しさ。

馬の走り方と共に数々の事を教えてくれる。

そしてアープは走り去る。

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2012年5月 3日 (木)

エンジェルウォーズ ★★☆☆☆

Sucker Punch / Zack Snyder / 米・2011年 / 120分 / 製作費 $8200万 / 興行収入 $8900万

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冒頭から期待を持てそうな入り。台詞を排除し画面と音楽に身を任せる。だが義父と警官の並びのショットとその後のヒロインのショットはカメラとの距離が等間隔過ぎて気になる。カメラはヒロインに近い場所にいるべきだ。

さらに病院に入るシーン。部屋に入る際、扉が開かれPOVショットでカメラは部屋に入るが、そこに映し出された部屋はあまりに小さく見窄らしい。ここはヒロインの置かれた状況を考えると、その感覚を映像に落とし込む必要がある。

ただ次の展開により、この部屋は作られたセットへと繋がるのでそちらに重心を置いたのだろうが、ロボトミー手術云々の話までは現実だ、と仮定するとやはり駄目だ。

最初のダンスシーン。このノリだとダンスをどう魅せるのか、まさかそのまま "巧いダンス" なんてモノを見せられそうだったが、それを回避したのは良い。

ただその舞踏が拙い。

侍が現れ薙刀が地面に落ちる。そのまま火花を散らしながらヒロインへ向かうまでは良かったが、横のショットが入る。

何じゃそりゃ。

二人の肉体的差を見せようと思ったのだろうけど、その前の見下ろし見上げのショットで十分。または斬り合いが始まる一瞬の間を見せたかったのであってもここは横ではなく縦にするべきだろう。あそこまで引いた横のショットではヒロインと侍の対比よりも空間と侍の対比に画面は移り、侍の矮小さが際立ってしまう。

そしてこの後すべてのダンスに言えるが、アクションの退屈さ。

3つか4つはあるすべてのダンスよりも女を襲っていたコックに、ナイフを突きつけ豚と罵ったシーンの方が断然に素晴らしい。

コックを見つける、コックに寄って画面外からヒロインが入り距離を縮め、ナイフを抜き、切り返し首へ突きつける。その前の、女がコックをビンタするシーンも良い。アクション中に小気味良くカッティングする。

さらにラストの脱走。火災が起き、扉が開く、そして警備員の目を盗み、外へ。このせいぜい数分の方がよっぽどアクションだ。

つまるところ最初と最後以外の間にあった空想、妄想的な物は全く必要がない。

最後にヒロインの下品さ。肌の映し方。化粧。売春宿にいる売春婦であろうと、映画に映る女性なのだからそこには気品と気高さを。そしてラストに彼女の表情を見せてしまう、同じく下品さ。

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2012年5月 1日 (火)

96時間 ★★★★☆

Taken / Pierre Morel / 仏・2008年 / 93分 / 製作費 $2500万 / 興行収入 $2億2600万

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★5にしようかどうか迷った。

"無い" ことを見せる為には "在る" ことから入る。逆もまた。

歌姫をよく魅せたいのなら入りは素っ気なく。父親のプレゼントもそうだ。娘の友達もそう。それにパリ旅行の為に父親の許可を取るシーンもそう。パナナなんとかクリームシェイク的な物で娘と彼の距離、そして未だ彼にとっての娘がどういった存在なのかを示し、そして娘と元妻が去った後のショット。二人が消えた後に思い出されるのは、そこにいた娘と元妻の存在。

残されたのは二人が座っていた椅子と父親と、殆ど手付かずのパフェ。

アクションのカッティングのキレ。流れで撮って繋げてゆくのではなく、必要なカットがありそれと繋ぎの為のショットを繋ぐ。だから何をやっているのか判らない、なんて事にはならず、それでいて速度を失わない。

そして誘拐時の的確なカメラ視点。

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2012年4月14日 (土)

インベーション ★★★☆☆

The Invasion / Oliver Hirschbiegel / 米・2007年 / 99分 / 製作費 $8000万 / 興行収入 $4000万

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争いがなくなった世界、そこに人はいない。人が人である限り、それはなくならない。

とかのたまっているが、それを映画は描いていない。だから虚しく響く。

この映画が描いているのは、始めから終わりまで "子を守る母" だ。これこそが人間性であり、だからこそ、母親であるニコール・キッドマンはひたすら美しくある。衣装といい、化粧といい、素晴らしい。

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2012年4月10日 (火)

座頭市 THE LAST ★★★☆☆

座頭市 THE LAST / 坂本順治 / 日・2010年 / 132分 / 製作費 不明 / 興行収入 不明

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冒頭の素晴らしさ。出会いから別れまでを端的に魅せる。

セリフを排除し、音を聞かせる。叫び声、竹藪のざわめき、鈴の音色、荒い息遣い。分かれ際の見えない市に見てないと音で知らせ、不格好に走り去る市を見る石原さとみ。その彼と叫び声を聞いては戻らざるを得ない。

二人が抱き合い、重なった時の回想。桜を背景に共に歩く記憶を見る。この "一緒に歩く事" こそまさに愛。それを見せる。

だからこそ、その時の石原の「逢えてよかった」と、切り返して見せた香取慎吾の顔は必要がなかった。それとアップになった時の石原さとみの顔に当たる照明の悪さ。

だが、素晴らしい。

冒頭からの10分間。そしてその静寂の後にはタイトルバックが区切りとなり、激しい音と歩き続ける市。

そしてラスト。

這いずる香取。この泥臭さに、不格好な殺陣でも逃げずに映し続けてきた意味が集約する。これはまさに冒頭の石原さとみが見た市の後ろ姿と重なる。彼女が惚れたこの姿を、同じように観客も見てきた。

その必死な彼が差し出した手を握り返す彼女の手。その感触。それを見せる。

ここで石原さとみを映さなかった事の美しさ。

そして死ぬゆく彼の右手には、しっかりと赤い彼女が握られている。

雪が降り始め彼女は死に、積もった雪の上で彼も死ぬ。

冒頭で既に死んでいる市が彷徨い、愛する人に誘われるまでの映画。

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2012年3月26日 (月)

裏窓 ★★★☆☆

Rear Window / Alfred Hitchcock / 米・1954年 / 112分 / 製作費 $100万 / 興行収入 不明

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視点を持つこと。

徹頭徹尾主人公の視点をカメラが持つ。だからこそ、彼女が手紙をドアの下に挟む時の緊迫感。それは、こちらからは見ている事しか出来ないもどかしさが生む。これは、当然カメラが向こう側に行かないからこそ有り得た状態。もし彼女が向こう側のビルに行ったようにカメラも付いて行ってしまったのなら両者の視点を観客も得てしまい全ては台無しだ。

そして向こう側の男がこちらに気付くシーン。今まで主人公と私達観客は、対象を一方的に見続けられるという特権的なポジションにいたからこそ、チラッと見られたという、こちらの存在に気付かれたというだけで立場は一変する。本来ならば対等な関係になったというだけなのにも関わらず、動揺する。これも確かな視点があるから成せる事。

そして侵入してきた男に対して、主人公が行った唯一の攻撃が、ストロボで男の視界を奪うという、映画が始まってから一貫して主人公が持っていた視野の優位性と同じなのは自明だ。

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2012年3月25日 (日)

アジャストメント ★★★☆☆

The Adjustment Bureau / George Nolfi / 米・2011年 / 106分 / 製作費 $5000万 / 興行収入 $1億2700万

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これはコメディなのかと感じるような全体のテイスト。帽子を被ったオジサン達が下らないちょっかいを出す。えいっ、とバナナを投げてマット・デイモンを躓かせる。ていうか初めに捕まった後で扉をパカパカ開ける所とか寧ろもっと面白く撮れよとか。さらに二人が駆けっこをするシーンの地面の汚さや、キスをする場面での背景に対する無関心としか思えない画作り、二人のやり取りだとかの良さを叩き潰したいのかと思うのだが、ただラスト。

雨の中を走り抜けるマット・デイモン。走る、走る、走る。

そして綺麗なトイレで彼女からドアを開けて彼に会った冒頭の出会いとの切り返しになっているかのような、汚いトイレで今度は彼がドアを破ってやって来たラスト。

さらに彼女が彼に言い訳をした出会いと同じように、今度は彼が彼女に愛の言い訳をするラスト。

この為だけに走って、走って、走ってきたマット・デイモン。にも拘らず口から出てくるのは愚にもつかない説明、その走りから始まった必死さに、泣きそうになってしまう。

ただ違うのは冒頭の出会いは邪魔者の侵入によりトイレから一人が出ていったが、今度は二人でトイレを出ていくのであった。

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