マルチエンドが大嫌い、面倒くさいのもあるけど、もう一つ理由がある。
例えばニーアで言えばCエンドとDエンドでは決定的に違う所がある。
端的に言えばカイネを殺すか殺さないかなんだけれども、その選択はやっぱり歩んできた道によって違う答えになると思う。この本編では絶対Cだと思っている。AとBを通じ、当然それぞれの事情がある、善悪は相対的だ。その上で生き残る為には戦う、だから戦う。カイネがカイネではなくなれば殺す。それを描いてきた。
翻ってDなら決定的に抜けているものがある。彼にとって何よりも大切なのは妹だ。しかし旅の過程でそれと同等の物を手に入れ、かつ妹が既に自分の手を離れ、依存という意味では必要でなくなってしまった。一人で生きられるようにする事が愛で、従属を経て自立した妹。だからこそ命を賭してカイネ助けようと思える自分が、Dを選択したニーアがいる。ということが全く描かれていないDではたりえない。
なぜ彼がその選択をしたのかは、彼の人生が答えで、既に出ている。最後の選択肢でちょろっと変わるなんてモノでは決してない。
だからケツの選択肢だけで変わる糞マルチエンドは嫌い。それは、紡いできた物語を全て無に帰す事。
やるならば最初から選択をし続けなければならない。そういう意味でギャルゲーは理にかなっていると思う。
それ以外にも根本的な仲間の関係、彼らの希薄さがある、例えばエミール。彼が醜い姿になった時にもニーアの態度は変わらない、お前が変わらなければ俺も変わらない(だからDでは変わったカイネを殺すのだけれども)これは結構凄い事で、簡単に言ってはいるが(エミーリきゅんはめちゃキモくなった、それを受け入れからこそ、主人公であるわけだけれども)そもそも君たちの関係性にそれを受け入れられだけの密度はあったかと。確かに時間ではない、長い希薄よりも、短い濃密さが上回ることもあるが、お前達にその濃密さは感じない。少なくとも自分は感じなかった。それはカイネとの関係性もそうで、結局の所ニーアが簡単に受け入れすぎているから。
なぜやらなかったのか?
折角聞こえない声を聞かせるBがあったのだから、エミールに向かって「大丈夫」と言っていたAに対し、内心「きもおおおおお」と思っていたBが対になっていた方がらしいし、その上で旅を続けるうちに「骸骨顔も慣れてきたし、中身はエミールじゃん」その変質があるからこそ受け入れ事に意味が生まれる。それはカイネとの絡みでもそう。彼自身がある意味理想の体現者で、仲間であれば受け入れる、その彼が魔物というだけで殺しまくっているのだけれども、その仲間に対する器のデカさが逆に薄すすぎる関係を演出してしまっている。彼が変わらないからその皮肉も響かない。カイネやエミールと葛藤と偏見をもって接し、その上で変貌し、認め合える奴らが、対面にいるというだけで魔物を殺し合う。だから刹那だ。
システム面で言えば、特出した所はない。これは悪い事ではなく、バットマンをやった時にも思ったが、グラフィックが上がり、テレビも変わり、オンラインにもなった、だから何か新しいものをといったツマラナイ虚構でゲームを作る必要はない。従来のゲームの良いところを踏襲する、それをやれば面白いものは出来る。結局の所トランプの枚数を増やせることの出来る人はなかなかいない。大抵が現状の52枚でどうするか。それをキッチと提示すれば良い。それすら出来ない奴が53枚目のジョーカーを求め自滅する。
とはいえ難易度のバランスは全然ダメ。ゲームにとってこれが最も難しいと思っている。最適なものとは、精一杯頑張り、ギリギリでクリアできるもの。これが一番良い。とはいえプレーする人によって技量が違う、だから完璧には絶対にならない。だからそのために難易度選択があるわけだ(本来はそれさえ邪道だと思っているが)ニーアはその面では駄目。大目に見てもダメ。ニーアはハードがハードではない。簡単に買える槍が強すぎる(もちろん相応の対価を支払うならば良かったが)ガードが万能すぎる。これを言うと、使うなよという馬鹿が要るが、こちらで調節している時点でバランスが悪い。それにプレイヤーのスタンスとしては使えるものは使う、全力でプレーする。これを欠いていてはダメ、面白くない。そしてその加減をバランスという。
一番の魅力はSFな世界で、過去に何かあって、それが現在に繋がる。本当に良い。ロード中に現れる報告書とか、こういった物が好きな、所謂設定厨なら最高な作品。
でも二週目でカイネを使えなかったのはガッカリした。
それとニーアは A+B→C or A+B→D みたいな感じで基本は二つだけ。